大切なものは

第 18 話


その音が聞こえたとき。
ルルーシュがどうとか、ユフィのこととか、完全に頭から消えた。
憎しみも、悲しみも、怒りも、苦しみも、全て忘れた。

警備が厳重なこの場所に、敵が侵入できるはずがない。
でもルルーシュとナナリーの母親は殺された。

ルルーシュが狙われる理由がない。
でも、片目と片腕を奪われた。

ああ、わかっていた。
ルルーシュは狙われているし、警備などあってないようなものだ。
敵は誰かわからない。
ルルーシュとナナリーの母親の暗殺は、内部犯の可能性が高い。
だから、俺が護衛に選ばれたのだ。
今の音。ガラスが割れた音だろう。ということは窓。窓のある部屋を確認して回るが、変わった事は何もない。何でこんなに無駄に広いのだ。今の音は何だったんだ。と悪態をつきかけたが、窓のある部屋を全て見たのにルルーシュの姿がなかったことに気がついた。いないはずがない。一体どういうことだと困惑した。あと調べてないのは、窓のないトイレとキッチンぐらいだ。
音を殺してキッチンの扉の前まで移動し、中の音を探る。何かが動いている気配がし、息を呑んだ。急がなければと焦る気持ちを抑え、音を立てないように扉を開ける。静かに開かれた扉の先には何の変哲もないキッチン。・・・この部屋だけはごく最近作られたらしく、最新式のシステムキッチンと家電が揃えられている。皇宮らしい豪奢な作りの他の部屋とは違うシンプルなキッチンはどこか異質に見えた。。
音を立てないように中を見て回ると、入り口からの死角にルルーシュがいた。それを見て、ああそういうことかと理解した。ルルーシュは、割れたティーカップを拾い集めていた。お茶を入れようと食器を出そうとして落としてしまったのだ。カチリカチリと小さな音をたてながら、大きな破片の上に小さな破片を集めている。
よかった、なんだそんなことかと安堵した瞬間、自己嫌悪に陥った。ルルーシュを心配したこと、ユフィを一瞬でも忘れたことが許せなかった。
・・・らしくない。あのルルーシュが食器を割るなんて、考えもしなかった。だから陶器が割れた音を聞いて襲撃だと思ってしまった。自分が護衛をしている時にルルーシュに何かあればすべての責任を取らされる。手に入れたラウンズの地位も剥奪されるだろう。
それは避けなければならない。だから無事な姿に安堵しただけだ。

「ルルーシュ」

声をかけると、ルルーシュはビクリと体を震わせ、慌ててこちらを見た。
ああそうか。音も気配も消してたから、ルルーシュは気づいてなかったのか。
慌てたルルーシュの手は大きな破片に当たり、ガチャガチャと破片が音を立てて散らばり、ルルーシュは顔を歪めた。

「・・・・っ!」

破片で、切ったのだ。
その証拠に血がポタリポタリと床に落ちた。

「ルルーシュ!」

慌てて近づくが、拒絶するように立ち上がったルルーシュは、シンクに移動すると血塗れの手を洗い流した。流れ出た血を水が瞬時に洗い流していく。

「ちょっと見せて」
「大丈夫だ」
「大丈夫って、血が出ているだろ」
「問題ない」

こちらを見ようとせず、傷口を洗う。どうやら手のひらを切ったらしい。

「いいから見せて」

小さな傷ならともかく、この出血量なら手当が必要だ。これは片手のルルーシュには出来ない事。仕方がないから手当をしてやる。そう思っただけでもありがたく思え。そう考えていたが、ルルーシュがこちらを頼るはずがなかった。

「自分でできる」

出来るはずがないだろう。
わかっているはずだ。

「見せろって!」

水にさらしている手を掴むと、逃げようと手を引いた。逃がすわけ無いだろうと捻り上げると、ルルーシュは顔を歪め小さくうめいた。素直に見せればいいのに意地を張るからだ。力で敵わないことはわかっているだろうと睨みつければ、ルルーシュも忌々しげに睨みつけてきた。
傷口からぽたりぽたりと血が滴り落ちる。

「余計なことをっ!」

憎しみと怒りのこもった声。
敵を見るような目。
あの日、遺跡で向き合った時に見たあの顔と声。
あの日初めて向けられた、負の感情。

「余計?おまえに何かあれば僕の責任問題になる。忘れるな、おまえに自由はない」

捻り上げた掌から流れる血が、二人の手を赤く染め上げ、シンクが赤く染まっていく。

「なるほど、俺に何かあればその地位を失うわけか」

にやりと、口元を歪め言う。
それが弱点なら簡単にその地位を剥奪できる。そう考えているのだろう。だが、甘い。こちらには、それを封じるためのカードが有る。

「ナナリーのことは聞いているか?」

効果は絶大だ。ルルーシュの顔から憎しみと怒りが消え、不安が広がった。いや、今までもずっとナナリーのことを思っていただろう。ルルーシュが、記憶のある状態でナナリーの安否を考えないなんてことあるはずがないから。

「知っているのか、ナナリーがどこにいるのか。どこだ、どこにいるんだ!?答えろスザク!」

一瞬で、兄の顔に戻っていた。
ユフィには向けなかった顔。
ユフィだって妹のはずだ。
それなのに、操り殺した。
無意識に手に力がこもる。
ぎりぎりと音がしそうなほど手を締め上げると、血が止まった手は色を変え始めた。ルルーシュも痛みで顔を歪めているが、悲鳴など上げず痛みに耐えている。まるでここでなにか言えば、ナナリーの情報を得られないと考えているようにも見えた。
この手を握りつぶしてやろうか。
そうすれば両手を失う。
それがどういうことかルルーシュにだってわかるはずだ。ルルーシュはナナリーを助け出し、逃げ出そうと考えているはずだから。この手を潰せば、その手段が絶たれる。わかっているはずだ。わかっているはずなのに、ルルーシュはじっと耐えていた。
・・・冷静になれ。両手が使えなくなったら困るのはこっちだ。
ルルーシュはナイトオブゼロ。ラウンズなのだ。帝国のためにその人生を使わなければならない。ユフィのためにも。だから。
手を離すと、そこには青黒く染まった手形がついていた。
手のひらは変色し、血が通っていなかったのがありありとわかる。
止まっていた血流が戻ったことで、再び掌から鮮血が流れ落ちた。
ルルーシュはさほど気にする様子もなく、先ほどと変わらずこちらを見ていた。ナナリーの安否を知りたい。そんな顔で。

「ナナリーの居場所は知っている。おまえが馬鹿なことをすれば、彼女の安全は保証できない」

ナナリーの居場所は取引のカードとして使えるから今まで教えなかった。
この、ブリタニア皇宮にいると。
だが、彼女が皇族に戻った以上、知られるのは時間の問題でもあった。
それでも、こんな些細な怪我のために使うカードではなかったはずだ。もっと有効に使う方法はあったはずなのに、自分にはこういう駆け引きは向かないことをスザクは痛感した。いや、まだどこにいるかは教えていない。まだ、このカードは使える。
ルルーシュは何事もなかったかのように再び傷を洗い始めていた。

「そうか、ありがとうスザク」

先ほどの激高がウソのような、いつものルルーシュの声だった。
ありがとう?なぜ礼を言う。何も答えていないのに。

「ナナリーをさらったのは皇帝の手のものだったのか」

まあ、そうだよなと小さく笑ったルルーシュは、泣きそうな顔をしていた。

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